人権週間 校長講話
- 公開日
- 2009/12/10
- 更新日
- 2009/12/10
校長室より
私は小学生の頃、とても弱い子どもでした。運動会でビリになって途中で泣きながら母親のところに逃げていったこともありました。いわゆる「いじめられっ子」だったのです。仲間はずれされたり、時には無視されることもありました。今、思うと、とても寂しくなります。よく耐えることができたなと思います。どうして耐えることができたのか、それは、自分の周りには意地悪する子ばかりではなかったからです。優しく見守ってくれる、優しく接してくれる人もいたのです。「誰かが、自分を見ていてくれる。」とわかったときに元気が出てきました。
そして、そんな子どもが自信を付けたきっかけが2つあります。
1つ目が長距離走です。運動が苦手でも、力がなくても、歯をくいしばって、がんばれば何とかなるのが長距離走だと考えたからです。ウサギとカメのお話の「カメ」のように自分のペースで黙々と走りました。その結果、中学校3年の時には学校代表の2名に選ばれ、市内大会に出場したのです。結果は、最後の1周で全員に追い抜かれてビリでしたが、それでも運動が大の苦手だった私にとって「ここまでやれた」「やればできるだ」という大きな自信につながりました。
2つ目が大学の時に始めた少林寺拳法です。運動部活動の経験のない私は0から出発できる部活として少林寺拳法部に入部したのです。力のない私は技で勝負せざるをえません。そのためには他人の2・3倍の練習が必要でした。そこで気づいたことは力のある人は技を力まかせにやるけれど、力のない人は技を磨くので、力のない人の方がうまくなると言うことです。弱点もうまく使えば効果的だと言うことです。また、3級、2級、1級と昇級し、初段をとったときのことです。弱かった自分が初段をとったということで自信がつき、昔のことを思い出して、弱い人をいじめてやろうかと思ったことがあります。でも、二段を取り、三段を取るとそんな気持ちは全くなくなりました。「いくら強くなっても必ずもっと強い人がいる。でも、4年間続けることができたことは消すことができない」人に勝っても自信はつかない。自分に勝つことが真の自信につながるのだ。本当に強い人間は、「人に勝つより自分に勝った人間だ」とわかったからです。
今、いじめられていると思っている人は、「自分のことを見ていてくれる人が必ずいる」と信じて元気を出し、いじめている人は「本当の意味で強い人」になってください。