畏れ
- 公開日
- 2011/04/17
- 更新日
- 2011/04/17
校長室より
友人のご母堂が逝去されたので、告別式のお手伝いに行きました。
通夜・告別式は、当然、強く「死」を意識するものであり、残された者がいかに「生きる」かを考えさせます。
生のエネルギーにあふれた子どもにとって、「死」は遠いものです。
幼少の私に印象に残っていることがあります。
低学年だったと思います。
たぶん、担任の先生がお休みをされたときのこと。
「おじいさん」先生が教室に来てお話をしてくれました。教頭先生か教務主任でしょうか。
その話は、「地獄と極楽」の話でした。
特に「地獄」の話は、詳しいことは覚えていませんが印象は鮮烈でした。
生きることと死ぬことの差。
命には限りがあり、老と死は誰にも訪れる。
この生をどう生きるべきか。
…
私が、「畏れ」というものを感じた原体験かもしれません。
命の教育や心の教育の重要性が叫ばれています。
しかし、教育の現場では死生観や宗教性はタブーとされています。
もはや戦後ではない、「災後」。
大人がどう生きていくのか、子どもの「教科書」になるのでしょう。