百人一首
- 公開日
- 2012/05/27
- 更新日
- 2012/05/27
校長室より
1235年(文暦2年)の今日、藤原定家が親友の宇都宮入道蓮生の求めにより和歌百首を書写したとされる。
小倉百人一首の100番は
百敷や古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり 順徳院
順徳院は、悲運の君。
後鳥羽天皇の第三皇子で、第八十四代の天皇。
十三歳の時に即位。1221年(承久3年)、後鳥羽院を中心に挙兵するも、敗れて佐渡に流され、在島22年ののち崩御。
今なら小学校を卒業して天皇になり、25歳で源氏との戦いにやぶれる。人生の半分を罪人として島に閉じ込められたまま46歳で死去。
歌にはドラマが隠れています。
※写真 貴船神社